伊藤薫。 伊藤薫 (ドラマー)

Hidenobu Ito (伊藤 秀薫)

伊藤薫

所属 [ ]• (1989年 - 2003年)• フリーランス(2003年 - 2010年)• (2011年 - ) プロフィール [ ]• に入団。 あだ名は「いとちゃん」、あるいはに似ていることから同期が付けた「ガチャ」。 童顔のため「こども」というニックネームもあったという。 入門当時は、のが、引退直前とは言え在籍していたため、直接の教えを受けた訳ではないがクラッシュ・ギャルズのブームを選手として実際に体験した最後の現役レスラーでもある。 10月8日 対吉永恵理子(現:)戦でデビュー。 同期にはやもいる。 得意技はダブル・フット・スタンプ。 を獲得した頃から、「心」というキャッチフレーズを使用していた。 若手の頃からしっかり者で知られ、選手の対戦表の管理(全女では基本給に加え試合数で給料が決まるので、重要な役回りである)や給料の計算、若手への雑用の指示出しなども担当していた。 選手の大量離脱後には渡辺と共に覆面を被り ZAP-Iに変身したり、にが女子プロレス界に勢力を拡大した際に登場した 魔界魔女1号でもあったりと、としての一面も持っている。 また、柔道のバックボーンを活かし、前後からは総合格闘技のリングにも上がっている。 11月2日 全日本女子プロレスを退団しとなった。 その直後にのコーチに就任し、中国から来日した少女たちにプロレスを教えていた。 を創設。 伊藤薫プロレス教室を解散。 愛弟子とともに、全女の1年先輩に当たるが旗揚げする「」に合流。 10月、引退興行出場のため、ブル本人から減量(85kg)を宣告される。 当時の体重は105kg。 サムライTVにてブル中野興行・試合前日の体重測定にパス(84kg)し、出場が決定する。 にの知り合いとして出演。 体重が110kgであることを明かしチームのボーナスポイント追加に協力。 で飲食店『心亭(こころてい)』を経営している。 (2010年開店。 2017年にから移転 ) 戦歴 [ ]• WWWA世界女子格闘技選手権王座決定トーナメントに参加するなど、当時全女で行われていたグローブ・マッチにも出場していた。 第1試合、第2試合あたりで出場することが多く、フットスタンプやヒップアタックで喝采を浴びていたが、他の同期のバット、長谷川と比べ、渡辺と共に、この時点ではあまり目立った印象はなかった。 当時の全女の基準から言えば小柄であり、また後年に比べると体重も少なかった。 8月15日 でバット吉永と20分1本勝負でシングル・マッチ。 バットの容赦なき蹴撃に終始圧倒され、浴びせ蹴り2連発で追い込まれるが、ダイビング・フットスタンプで逆転勝利、存在感を見せた。 11月2日 で1年先輩のとシングル・マッチ。 15分33秒、オーロラ・スペシャルに敗れたが、ジャーマン・スープレックス・ホールドを見せるなど健闘。 試合後貴子に「技一つ一つが決まるようになっちゃってるから、怖かったですね」と言わしめた。 対抗戦時代は、ピーターパンのようなグリーンを基調としたコスチュームで、、双方と対戦。 LLPWとは、同期の長谷川と組んで全日本タッグ選手権王座を巡って抗争を繰り広げた。 5月3日 ジャパン・グランプリ'93公式戦、開幕戦となる第一戦で、JWPから初参戦したと対戦。 敗れはしたものの、得意技はもちろん、スリーパー、逆エビ、ボディスラムなど一つ一つの基本技の厳しさも見せつけて試合内容では圧倒、23分44秒の熱戦となった。 試合後福岡はふらふらになりながら「全女マットがこんなに厳しいって・・・今日初めて、体で教え込まれた気がします」とコメントした。 伊藤本人は「緊張したせいかすぐ息が上がってしまい、技が思ったように決まらなかった」と反省しきりであった。 4月3日 井上貴子とシングル・マッチ。 1992年の試合以上に激しい試合とり、トップロープ最上段から場外へのフット・スタンプなどで貴子を追い込んだが、盛り返され、15分5秒、延髄ニーに敗れる。 リングを降りた伊藤に、貴子は握手を求め、エールを送った。 4月9日 で井上貴子と組み、・と対戦。 LLPW場外での椅子攻撃など見せ場を作ったものの、17分22秒、貴子がみなみにフォールされて敗戦。 '94では、と組んで出場。 10月9日 でのレッスル・マリンピアード'94では、当時WWWA世界シングル王者のとのシングル・マッチに挑む。 ゴング前に先制攻撃を仕掛けるなど意気込みを見せたが、アジャが圧倒的な力の差を見せ、序盤戦から絞め技、極め技、投げ技で的確に攻め込まれ、ほとんど自分の試合をさせてもらえないほどに痛めつけられ、裏拳からの高角度バックドロップから、13分23秒、アジャは片膝で伊藤をフォール。 試合後アジャは、「(なにもやらせない試合でしたと聞かれ)やらせないっていうか、できないんでしょ、向こうが。 一生懸命、それなりにやっているんだろうけど、そっから先に進めないなら、上は倒せない。 相手に本気の力をださせてなんぼだけど、それができていない。 だから、こちらが100の力を出せば、観客は面白くないかもしれないけれど、こういう試合になる」と突き放した。 12月10日 でのタッグリーグ・ザ・ベスト最終戦では、みなみと組んで・組と対戦。 みなみのパワーボムと伊藤のフット・スタンプで追い込んだものの、猛武闘賊組が連携に勝り、18分53秒、伊藤が三田のデス・バレーボムに沈む。 豊田真奈美のフリーダム・フォースに、長谷川、吉田と共に参加。 井上貴子は軍団に参加した同期のを「裏切り者呼ばわり」するなど、全女内部での緊張感ある対戦が見られた。 5月7日 で、フリーダム・フォースの吉田万里子、そしてと組んで、井上貴子・渡辺智子・組との6人タッグ。 吉田が後輩渡辺のキャノンボール・バスターに沈み、金星を献上する。 渡辺は涙を流して喜びを表していた。 9月3日 で、フリーダム・フォースのブリザードYuki()、吉田万里子と組んで、・井上貴子・渡辺智子組との6人タッグ。 Yukiの裏投げとダブル・フットスタンプのコンビ攻撃から、トップロープからの伊藤のダイビング・フットスタンプ、Yukiの旋回式セントーンから吉田の飛び技と渡辺を攻め込むが、渡辺が粘り抜き、キャノンボール・バスターとラリアットの連発で先輩の吉田を再度、沈めた。 試合後伊藤は「今まで長谷川に先に行かれて、ナベ(渡辺)と同じぐらいの位置にいたが、今日当たって見て、見てみて、(今日のパワーファイトで先輩をフォールした)ナベに先に行かれたので、追いつき追い越せで行きたいと思います」とコメント。 12月4日 で、同期の盟友、長谷川咲恵とシングル・マッチ。 同期ならではの心と心のぶつかり合いとなった重い試合は、伊藤が場外へのダイビング・フットスタンプ、長谷川がノータッチ・トペ・コン・ヒーロなど得意技を出し切ったハイスパートな展開。 最後は11分55秒、伊藤がトップロープからの雪崩式フィッシャーマンズ・バスターで長谷川にシングル初勝利。 大の字となった長谷川の頬には一筋の涙がつたっていた。 勝った伊藤も試合後のインタビューで、珍しく声を詰まらせ、感極まった表情を見せていた。 長谷川咲恵の引退試合にパートナーとして出場。 オールパシフィック選手権王座決定トーナメントに参加。 豊田真奈美にシングル初勝利。 得意技 [ ] 自らも「フット・スタンプとお尻」が自分の持ち味、とかつて語っていたように、フット・スタンプとヒップ・アタックで知られているが、基礎体力(若手時代から練習のマラソンでは常に先頭を切っていたといわれ、足腰が強く地力があった)、基本的なプロレスの技術、いずれの点でも高いレベルを誇る選手である。 トップロープから放つ、伊藤の代名詞といえるフィニッシュ・ホールド。 トップロープまたはエプロンから場外に放つ場合もある。 この技の使い手として有名であるから直伝を受けている。 金網デスマッチで金網最上段から決行したこともある。 豊田真奈美とのWWWAタイトルマッチでは、トップロープからのダイビング・フット・スタンプ7連発を放った。 また、若手時代に、やはり豊田真奈美を失神に追い込むなど、危険度の高い技でもあった。 さらに、妊娠中の井上京子にも、この技をかけてしまったことがある(しかし、伊藤はおろか、井上京子本人も妊娠していることを知らなかった)。 ロープワークで右に左に走り抜けながらフット・スタンプを放つ、主に序盤から中盤での得意技。 ヒップ・アタック 序盤での得意技。 多彩なバリエーションを持っており、ニュートラルコーナーに飛ばされた際に、コーナーポストに上ってセカンドロープの高さからそのまま敢行することもあった。 ボディ・スラムで相手を投げておき、コーナーに走り込んでセカンドロープから反転しセントーンを放つ。 若手時代にはダブル・フット・スタンプを連発した後で通常のセントーンを放つこともあったが、ダブル・フット・スタンプの威力が増したことでこの流れはほとんど見られなくなった。 低空ドロップキック (またはフィッシャーマンズ・バスター) スープレックス系統の技も決して苦手ではなく、特によく使っていたのが、この技である。 長谷川咲恵が引退する前年のシングル対決では、トップロープからの雪崩式フィッシャーマンズ・バスターで長谷川から初フォールを奪った。 場外での埋め込み椅子攻撃 場外戦では、相手を観客席に投げつけてパイプ椅子を相手の体の上に、相手が見えなくなるくらいまで、たくさん投げつけるのを得意としていた。 各種柔道技 ライガーボム 主に試合の流れを変えるために使用。 エプロンサイド、体育館のステージ、本部席の机の上、観客席の中などでも使用する。 タイトル歴 [ ] 全日本女子プロレス• 第51代、53代• 第106代(ZAP-I&ZAP-Tとして)• 第18代• 第16代(パートナーは長谷川咲恵) NEO女子プロレス• 第6代(パートナーは浜田文子)• 第9代(パートナーは) 出演 [ ]• アイドルコロシアム()• 公式GREEブログ• 公式アメブロ 2013年12月4日• 心亭 2017年2月1日• ジャパンタイムズ社. 2014年12月16日. 2015年1月3日閲覧。 2011年4月25日放送、・にて、井上京子が発言。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 外部リンク [ ]• ワールド女子プロレス・ディアナ• 公式アメーバブログ• wfootstamp -•

次の

伊藤 薫

伊藤薫

自己紹介 新潟県糸魚川市出身。 早稲田大学にて、地方自治とコミュニティ論を学ぶ。 2004年にリクルート入社。 地域密着型ビジネスの地方拠点立ち上げ、全国展開において営業・企画・マネージャーを幅広く経験。 その後、新規事業開発を経て、2011年に退職しフィリピンのライフスタイルメディア企業に転職、現地メンバーのマネジメントを行う。 2012年には上海ホットペッパー有限公司に転職。 日系大手企業の現地女性向け販促プロモーション企画を担当。 2014年にロフトワーク入社、プロデューサーとしてモノづくり事業者の海外販路開拓支援プロジェクト(経済産業省主催)などを担当。 2016年に株式会社イールーを創業。 ヒトと繋がり、暮らしを旅するツアー" TreckTreck "を立ち上げる。 地域の魅力を案内するツアーTreckTreckを運営しています。 TreckTreck is an experience-based travel agency located in East Tokyo.

次の

伊藤薫 (ドラマー)

伊藤薫

2018. 10 訪日客と東東京を深く結びたい! 深川に根差し、魅力を掘り起こす体験ツアーを実現 株式会社YILU 代表取締役 伊藤 薫さん 愛用の黄色い自転車で東東京をめぐり、海外の旅行者を中心に地域の魅力を伝える伊藤薫さん。 2016年5月に株式会社YILU(イールー)を立ち上げ、旅行者と地域の人をつなげることで、互いの暮らしを充実させる気付きを得たり、未来の可能性を拡げられる機会をつくっています。 今回は、清澄白河の事務所にお邪魔し、創業へとつながる多彩な経験や、創業後の東東京との関わりについて伺いました。 地域の飲食店を盛り上げる! 原点となった徳島での経験 現在の、主な業務について教えてください。 「TreckTreck(トレックトレック)」という名称で、旅行ツアーを提供しています。 旅を通じてインスピレーションを得られるような、体験のプラニングが主業務です。 地域の文化や歴史、ユニークな人や企業の取り組みを紹介し、それを体験できるプログラムを実施しています。 本所・深川エリアに拠点を置き、東東京を中心に取り組んでいます。 江東区は水の街。 小名木川をはじめとした水路を巡るカヤックツアーは人気プログラム 2016年に創業するまでの経歴が多彩ですね! 新卒で入ったリクルートでは、クーポンマガジン「ホットペッパー」の地方拠点立ち上げを担当しました。 最初の配属が徳島市だったのですが、明石海峡大橋の開通した直後で神戸や大阪まで楽にアクセスできるようになり、街中は閑散。 そんな中、地道に街の飲食店を回り、何度も店主の方と話しながら、なんとかホットペッパー徳島版の創刊に漕ぎ着けました。 すると、街の人が地元の飲食店を知ってくれるようになり、まっとうに努力する良店が繁盛するようになりました。 徐々に街中に活気が生まれていったんです。 確かに、自転車で地域を巡る伊藤さんの姿と重なります! 今実施しているプログラムは、海外観光客の方が対象のことも多いですよね。 実は28歳頃まで、英語どころかパスポートも持っていなくて。 部署異動で新規事業の担当になり、海外のIT企業情報を英語で収集する仕事になったのがキッカケです。 海外出張しては、自分の至らなさに悔しい思いをする日々を過ごしました。 そうして苦労しながらも、ターゲットを英語圏に広げることでビジネスの可能性が格段に広がることを実感。 日本国内に留まらず世界とつながる仕事がしたい、そう思いました。 海外業務を経て、生活者と企業のつなぎ役に それは大きな転機でしたね。 その後、フィリピンや上海でもお仕事されていますよね。 そうですね。 そこでは主にも日系メーカーの広告・販売促進のお仕事をしました。 現地で実績を上げる企業は、現地の暮らしをつぶさに観察していました。 その経験から、私は地域に入り込んで、そこで生活するユーザーに向けて、製品やサービスを提供する側の声を伝えたい。 作り手の考えや技術、さらには製品を生み出している土地の良さを伝えることで、価格一辺倒ではない消費の選択肢を増やしたい。 そう思うようになりました。 その後、ロフトワークという会社に転職。 「MORE THAN プロジェクト」という、日本の商材やサービスを海外へ届けたい中小企業とプロデュースチームの活動を支援する経済産業省の事業に参画して、その思いは強まりました。 一方で、もっと街や街で働く人、暮らす人の近くで仕事をしたいという気持ちも強くなり、独立を決めたのです。 自転車で駆け回り、街との関係を築く 地域の良さを伝える方法として、旅行の体験ツアーに取り組んだのはどんな思いからですか? 今は、訪日外国人数は年間2000万人を越えて、約6割がリピーター、約9割が日本再来訪を希望しています。 単なる観光に終わらず、旅行者と滞在先の地域の方が知り合うことで、双方に新しい発見が生まれ、さらには互いのビジネスにもつながるような接点が持てないかと考え、体験ツアーを企画しました。 当初は企画内容が定まらず、集客できないことも多かったです。 そもそも私が街を知らないのではと、図書館にこもって地域の歴史を学び直したところ、深川を中心とした東東京は、江戸時代から地元の人と移住民が混じり合うことで、新たなミックスカルチャーが育まれてきた土地なんだと分かりました。 今ではコーヒーやアートの街として知られていますが、もともとお祭りが盛んで、老舗が多くて、相撲部屋があって、と不思議な街。 いろいろなモノやコトを受け入れる土壌は、昔からあった訳です。 富岡八幡宮でのお祭りやお相撲をはじめとした一大歓楽地であり、商人がいて、工業が盛んで、亀戸周辺には近郊農地もあって、本当に多様な人々が共存していた。 たくさんの地域の方に出会い、私自身が街に根付く「ミックスカルチャー」を味わえたのかもしれません。 体験ツアーも、「旅人とユニークな地元の人をつなげること(Connect with the Neighbors)」に主軸を置くことにしました。

次の